瑞鷹の歴史

瑞鷹は、熊本の日本酒文化発祥の地の誇りとともに、熊本らしい質実剛健な酒造りに挑戦し続けています。

江戸時代

創業

「熊本を代表する、熊本で初めての清酒を作ろう。」

初代吉村太八は、慶応3年、いち早く清酒の製造にとりくみました。

明治時代

明治初期

熊本でいち早く清酒製造に着手

熊本では、赤酒以外の他藩でつくられたお酒は「旅酒」とよばれ禁止されていました。しかし明治維新後、物資や人の流通が自由になり、熊本県外で製造されていた清酒が流入しはじめます。人々の需要が赤酒から清酒へと移り変わるとともに、瑞鷹をはじめとした熊本の酒造業界も、赤酒から清酒へと切り替える大きな転換期を迎えました。

瑞鷹では、明治20年に兵庫県の丹波杜氏を招聘し、指導を仰ぎました。

酒の神様「野白金一」の来熊

長年、赤酒の製造に慣れ親しんできた熊本で、良質の清酒の製造は困難を極めました。そんな中、酒造りの指導者として熊本税務監督局に赴任してきたのが、現在の清酒造りの礎を築いた「酒の神様」と呼ばれる、野白金一です。

はじめは反発もありましたが、野白の明朗快活な人柄もあってか、次第に聞く耳を持つ蔵が現れはじめ、指導を受けた酒造場は年々良い酒をつくるようになりました。

「熊本県酒造研究所」が誕生

野白金一が赴任して7年、熊本の清酒を発展させるためには、品質改良が必要だという認識が広がり、やがて「そのためには研究所を設置して、熊本の風土に合った酒造りを模索しなければならない」という声があがりました。

それに手を挙げたのが、私たち瑞鷹です。蔵を増設し、仕上りに関係なくできた酒は引き取るという決意のもと、瑞鷹の酒蔵の一画で、熊本県酒造研究所が誕生しました。

大正時代

瑞鷹の出品酒が全国1位入賞

この年の全国新酒鑑評会では、瑞鷹の出品酒が熊本県酒として2度目の1位入賞となりました。

野白金一が熊本に赴任して14年目のことでした。

熊本県酒造研究所が熊本市島崎に移転

近隣の八幡村に第2工場(のちの東肥醸造株式会社)が完成。

昭和時代

鑑評会で熊本県酒が上位独占

この年の全国新酒鑑評会で、出品総数約4,000点ある中で、瑞鷹が1位となるほか、2位、3位、5位までを熊本の酒蔵が占めるという快挙を果たしました。

以降も数々の賞を受賞し、清酒の後進県だった熊本が、一躍日本酒の名産地となり、清酒や赤酒の販売も拡大していきました。

戦時配給米の逼迫により県下での赤酒の生産が休止となる

戦時中県下での生産が途絶えていた赤酒を復活生産し発売する

熊本県酒造研究所で熊本酵母が誕生

熊本酵母は研究所で醸造している「香露」の蔵付き酵母から野白氏の手によって分離・培養されたものです。熊本酵母は同じ原材料を用いても、造り手の要求に応じた個性を引き出せるのが、最大の利点で優良さが認められ、日本醸造協会の「きょうかい9号酵母」としても採用されるようになりました。

瑞鷹では、この熊本酵母を主要酵母として使い続けています。

鉄筋コンクリート4階建の瑞鷹本蔵が落成

平成時代

瑞鷹酒造株式会社と東肥醸造株式会社が合併し瑞鷹株式会社となる

株式会社大嶋屋商店と合併

〜現在

平成28年の熊本地震によって、赤酒仕込みの東肥蔵をはじめ、蔵の各所は大きく被災してしまいましたが、全国から寄せられた支援の声に勇気付けられ、今でも熊本の酒の歴史が刻まれたこの地で酒造りを続けることが出来ていることに心より感謝しております。
これからも真摯に造りを学び、守るべき伝統は守り、変えるべきところは革新しながら、熊本の風土にあった地酒、そして酒宴の傍らにひと華添える“華やかかつ膨らみのあるバランスの良いお酒”を醸してまいります。